板倉正明(Masaaki Itakura)さんのこと

2024年5月5日

Radio Japan (NHK) がリスナー向けに出していた
英文パンフレットでの板倉さんの紹介です
(RADIO JAPAN NEWS No. 4. 1991~2 p.2)

私がNHKに入局して間もなく、直属の上司であった佐野正樹さんが定年退職され、新たに英語アナウンスグループで上司になったのが板倉正明さんでした。

公務員時代も含め、数多くの上司に巡り会いましたが、最も記憶に残る、そして最もお世話になった上司のお一人です。

そして、私の人生の中でも特に鮮烈な思い出のある方です。

板倉さんは元々、日本語のアナウンサーでした。1971年入局で、確か鳥取県の米子が初任地。

子どもの頃を海外で過ごされ、東京外国語大学を出られたこともあり、もちろん英語の達人でした。大学時代は劇団のメンバーとしてアメリカを旅されたと伺ったように記憶しています。

その英語力を買われたのか、その後国際放送の英語アナウンサーに。

そして、NHKからBBCの日本語部に派遣されましたが、1991年、BBCの日本語放送終了とともに帰国。当時の国際局制作センター1班、英語アナウンスグループのCP(チーフ・プロデューサー Senior Producer)として我々の上司となりました。

実は板倉さんのお声を最初に聞いたのは私が学生の時でした。NHKラジオで放送されていた国際放送局のPR番組を良く聞いており、ある回で英語アナウンスグループの紹介がありました。そしてその回のナレーションが板倉さんでした。制作は同じ英語アナウンスグループの櫻井武さん。

当時、NHKの英語アナウンサーになりたいと思っていた私にとってはまさに夢の世界の方。そのアナウンスを一言ももらさないように一生懸命に聞いていたことを思い出します。また、私が教員だったころ、BCLであった私は良くBBCの日本語放送も聞いていましたので、その後何年かして、板倉さんの声を頻繁に耳にするようになりました。その方が自分の直属の上司になる……。その興奮、おわかりいただけると思います。

そして、実際にお会いしてみると、第一印象はとにかくおしゃれでカッコ良い。そして明るい、子どものような純粋な笑顔で接して下さるのです。そしてラジオと同じ、良く通る声!

鮮烈な印象でした。

しかも、次第に日々板倉さんと接していると、とにかく後輩思いの優しいお人柄だとわかってきました。

一緒にカラオケに行ったときも周りを盛り上げるムードメーカーであり、ご自身もパワフルな歌声とユーモアで参加者を魅了します。

インドで生活されたこともあり、欧米だけでなく様々な国の物の考え方や文化も良くご存知でしたから、いろいろな国から日本に来られてNHKの放送に出演されている方々とも、深い信頼関係を築き上げていらっしゃったと思います。

また、若いアナウンサーたちの生活面もずいぶんと心配してくださり、アドバイスを下さったり、面倒をみてくださったり。ずいぶん年上ではありますが、まるで「兄貴!」と呼びたくなるくらいの素敵なお人柄でした。

入局まで海外で生活した経験のないまま英語アナウンサーとなった私の事をとても心配して下さいました。その後、ご自身の人事異動後も、私が海外で研修を受けられるようにと色々と手配してださり、1995年、無事にCBC(Canadian Broadcasting Corporation ~ カナダ放送協会)に受け入れてもらうことになります。それまでそうした形で研修生を受け入れた事が無かったCBCですが、その後、CBCで板倉さんとの交渉をご存知の重松彬さんから「板倉さんのような紳士にはあまり出会ったことがない。素晴らしい人ですよ。そんな方が交渉にいらっしゃったのですから!」と言われました。だからこそ、私も受け入れてもらえたのだろうなぁと感じました。(その重松さんにも大変お世話になりました)

カナダという国も、海外経験の豊富な板倉さんならではのチョイスだったと思います。「アメリカは自己主張が強い社会だから、花ちゃん(板倉さんからはそう呼ばれていました)の性格だとちょっと厳しいかもしれない。イギリスは社会に馴染みにくいかも。そう考えるとカナダは初めて海外で生活する花ちゃんに丁度良い!」と、後に話してくださったように記憶しています。

この板倉さんの見立ては実に的確でした。実際、カナダでは本当に素晴らしい経験をさせてもらいました。

国際局が「Radio Japan(ラジオ日本)」の英語特別番組として24時間を超える生放送を実施したときには、そのメイン司会者として板倉さんが大活躍されたのを目の当たりにしたのも良く覚えています。なにせラジソンの司会。ほとんど眠ることなく24時間以上司会をされたのは、当時アナウンサーになりたてだった私には驚異でした。

ベリカードに登場した板倉さんです(右側)
(出典:Shortwave Magazine, May 1987 p27)
https://worldradiohistory.com/UK/Short-Wave-UK/80s/SWM-1987-05.pdf

上司として、人として、大変尊敬する板倉さんでしたが、優秀な方ゆえ、NHKの海外との交渉や会長の通訳などの仕事に抜擢されていきます。

我々の上司として面倒をみてくださったのは1991年6月から1年ほどの、実はとても短い期間だったと記憶しています。

その後、舞台を海外に広げて活躍されます。NHKが主要なメンバーであるABU(アジア放送連合)でも重要な役割をされ、「板倉さんは仕事も人柄も本当に素晴らしい」と、参加国の放送局の方々からも慕われたということです。

ところが、その後、まさかの事態に。

板倉さんが病に倒れたのです。

闘病の末、1997年12月に素敵な奥様と娘さんを残されて旅立たれました。

良い人ほど若くして亡くなると良く言いますが、本当に神様は残酷な事を時になさいます。

私としては本当にお世話になっただけで何も恩返しができなかったことが、ただただ残念です。

板倉さんが眠るお墓を時折訪れて、板倉さんをしのぶこともあります。

板倉さんがもし生きていらしたら、その後の放送の世界をどうご覧になるのか、そんなことも考えます。

自分の職業生活において最高の上司といえる方々のお一人。

その出会いに感謝するのみです。

(お願い:ここに上げた事柄は多くを私自身の記憶に頼っています。もし、間違いなどがありましたら、ご指摘いただければ助かります)